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リレーエッセイ 1月 essay

偶然なる病、必然的健康                      北野 晶 


11月某日、母が大学の同窓会に数年ぶりに参加するというので、母に着物を着つけてあげた。帯や小物や羽織も一通り私がコーディネートした。近所の美容室でセットもばっちり決めて、10歳ほど若返ったような(気分)の後姿を見送った。
よほど楽しかったのだろう、会の途中にも中継のラインメールが届いた。
そんな母も一年前は脊髄腫瘍切除のため、慶応大学病院に入院していた。術後は首から下が全く動かすことができず、いつ動き出すのかは母の生命力に委ねられた。熱がなかなか下がらず、予定されていた入院期間をとうに過ぎ、結局年が明けて一か月程してからの退院となった。病は突然の出来事であった。右手が少し痺れるので念のためMRIを撮ったのがきっかけであった。十数万人に一人というとてつもない確率の病を宣告され幸い良性ではあったが、脊髄を圧迫しているので切除するしか方法はないとの診断だった。
首の骨を削り、卵豆腐のような脊髄を傷つけないようにして腫瘍を切除する。寸分の狂いが半身不随にかかわる大手術である。何としてもその道の権威を見つけたかった。
慶応の中村先生は経歴だけではなく、人格も素晴らしい方であった。手術は半年待ちで、それまでに神経を圧迫して既に麻痺が起きる可能性はあったが、母も私もこの先生しかいないと思った。今となってはその選択が後の母にとって大変大きい運命の分かれ道だったと思えてならない。
今、母は冒頭の通り、元気だ。しかし、その元気は偶然からくるものではなく、様々な人々からの思いやりや支え、出会いの中で保たれているものだと思う。また、一つ一つの事象を見逃さず、諦めずに冷静に判断できたことは、この数年父をはじめ近しい人を見送った別れの悲しみと後悔の経験が生かされている。笑顔と健康は自分でつくるものだ。死という究極の犠牲を払って父たちは教えてくれた。その存在は確かに私たちのこれからの生き方に愛と希望を与えてくれている。

 
         
            母の快気祝い 阿蘇高森のレストランキムラにて
        




 国際ソロプチミスト熊本−すみれ

<例会日>
 毎月第3木曜日 午前10時〜
<例会場>
 ANAクラウンプラザホテル
     熊本ニュースカイ

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