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 リレーエッセイ>2005/03 リレーエッセイ

リレーエッセイ 
すみれメンバーが毎月交替で執筆します


Why Soroptimist am I ?

平成17年3月  
蟻田 滋子  

1963年8月、私は西アフリカ リベリア国の首都、モンロビアの空港に降り立った。
夕方、気温は40℃、流れる汗を拭くまもなく四方八方から伸びた黒い手と腕に囲まれ、呆然と熱風と共に吹き付ける砂塵にまみれていた。
36歳、やっと小児科医として一人前になりつつある時、勤務先の東京都武蔵野赤十字病院から一年休職して、WHOの天然痘実態調査に従事する夫に、ワクワクとしてついて来たのだった。

無料診療を始める
カソリックのconvent にアメリカ人のシスターが二人いて、一人は正看護婦、私は新しい同僚と共に週3日働くことになった。
『初めてこの地域に医者が来た』という事で、幼い子を背に赤ちゃんを抱いた母親が、炎天下百キロを歩いて行列を作った。
多彩な部族語を現地のシスターがスワヒリ語に訳し、それをさらにアメリカ人ナースが英訳の診療スタイルにも慣れだした頃は、小児科どころか大人も、性病も、怪我も千客万来一日120人、患者は溢れるほどなのに、薬も必要な医療器具はほとんど零。

ユニセフに救援依頼
駄目もとと、ニューヨークのユニセフに手紙を書いて一ヶ月、大量の粉ミルクと最低必要量の医薬品が届いた時、三人で抱き合ってまるで大病院開設のように喜んだ。
しかし子供達の病気の原因は『貧困と無知』、病気以前に栄養失調があった。
翌日は先ずミルクの作り方から。
匙なし、哺乳瓶なし、清潔な水なし 薪もない…….そしてやっと出来上がったミルクを母親が一瞬の内に飲み干してしまった。
曰く、『私がミルクを飲めばオッパイになる。それを赤ん坊が飲めば二人共 おなかが一杯』母親自身もやせ衰えもう半月も母乳は出ないのだ。

別離
Convent に点滴設備が整い、病院らしい様子になる頃、一年が過ぎ去っていた。
タブマン大統領始め、司教閣下、ナース達、修道僧の友人達 そして沢山の母親達の感謝と別れの言葉に包まれながら、私は誓いました。
『将来私の子供達が成人したあかつき、私はきっとこのconvent に帰ってきます。』
その後20年スイスで過ごし、モンロビアに帰る筈だった私は 日本へ……….
リベリア国は部族間の内乱により タブマン大統領は虐殺され、ナース達も行方不明。

今私に出来ること
ソロプチミストの一人として、奉仕を続けることと念じています。 
  ☆似顔絵イラストは松藤真理子会員の作品です
              
   
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